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全英オープンの舞台、英国でゴルフはいかがですか?イギリス・ゴルフ旅行・観光ツアーのエルデ・トラベル・サポートにお任せください。

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セント・アンドリュース・ゴルフリンクス
オールド・コースの攻め方

店主目線にて、セント・アンドリュース オールドコースの攻め方を書き出します。

(一般的に使用するレギュラー・ティ(黄色)の場合です。)

端的に言うと、オールドコースは、右側にトラブルが多いです。

魅力に溢れ, 個性豊かな18ホールを味わって下さい。

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old 18 home hole.jpg

ホールナンバー

ホール名(英語)/ 

読み仮名

攻め方

1

BURN / バーン

グリーン手前の小川まで、最短の右で210ヤード、最長の真ん中まで280ヤードです。風がフォローかアゲンストにより第1打のクラブ選択が必要です。ティ・グランドから微妙にフェアウェイが下っている為、良く転がります。ベストポジションは少し左側です。次打でグリーンを長く使えます。グリーンにはあまり起伏はありません。

2

DYKE / ダイク

左に1つ、右に2つのバンカーがあります。ベストポジションは、フェアウェイ右サイドです。グリーンの入り口に左右にバンカーがあります。グリーンの入り口の起伏は激しいです。

3

CARTGATE(OUT)

/ カートゲート(アウト)

短いパー4です。右の4つのバンカーは避けて、バンカーの左に第1打を運び、短いクラブでグリーンを狙います。グリーンセンターから右側にかけて、大きな起伏があります。

4

GINGER BEER /

ジンジャー・ビアー

長いパー4です。右の3つのバンカーに注意です。第2打のクラブは長くなります。グリーン手前のコブに注意が必要です。グリーンの傾斜も激しいです。

5

HOLE O'CROSS(OUT)

/ ホール・オ・クロス(アウト)

フェアウェイ右サイドのバンカー群に注意が必要です。2打目以降、グリーン手前の左右両サイドの大きなバンカー、さらにグリーン傍の左サイドの深い2つのバンカ―に注意です。グリーンは、オールドコースで一番大きく、ピン位置により、次打の距離感が求められます。グリーンは、微妙な傾斜、切れがあります。

HEATHERY(OUT)

/ ヒーザリー(アウト)

第1打は、打つ方向に見える白と黒のストライプ模様の棒の方向です。右には4つ、左2つあるバンカーは避けなければなりません。グリーン手前にはバンカーがなく、グリーンも比較的、平坦で素直です。

7

HIGH(OUT) / ハイ(アウト)

第1打は、インコースのピンの色赤旗を狙います。フェアウェイは見えません。2つの小山の間を狙います。11番のショートコースのティ・グランドが右側にあり、フェアウェイで交差する為、注意が必要です。2打目以降、グリーン手前の大きなバンカーとグリーン手前半分と奥側の半分を遮る大きな傾斜に注意です。

8

SHORT / ショート

風の向き、強さに注意が必要です。グリーン手前の2つのバンカーは避けなければなりません。グリーンの中央から奥に向けて、強い登り傾斜があります。

9

END / エンド

左の2つのバンカーとブッシュ、右の2つの小さなバンカーに注意です。ベストポジションは、右の2つのバンカーの左側です。グリーンは大きく、バンカーはありません。微妙な傾斜があり、グリーン奥側に向けて、比較的に速いです。

10

BOBBY JONES /

ボビー・ジョーンズ

右側にある2つのバンカーは避けなければなりません。ベストポジションはグリーン左端の方向です。グリーン手前から奥に向けて下っている為、グリーンにしっかりと止まるショットが必要です。

11

HIGH(IN) / ハイ(イン)

第1打でグリーンオンすることが非常に難しいホールです。グリーン手前に右に1つ、左2つの深いバンカー、グリーン奥は谷底になっている砲台グリーンです。グリーン奥から手前へ非常に強い下り傾斜です。

12

HEATHERY(IN) /ヒーザリー(イン)

ティグランドからは見えませんが、フェアウェイ・センターにある6つのバンカーに注意です。大きく右か、大きく左側を狙って第1打を打ちます。グリーンは手前から大きく急に登り、3ヤード程平坦があり、そして奥に大きく下る形状です。

13

HOLE O'CROSS(IN) /

ホール・オ・クロス(イン)

第1打の狙いは、フェアウェイ右サイドに230ヤードで止まるショットです。左側の3つのバンカー、右サイドのラフ、230ヤードから先の小山とラフは避けなければなりません。

第2打以降、長い距離のショットが要求されます。グリーン手前のグラス・バンカーと右サイドの深いバンカーに注意が必要です。

14

LONG / ロング

右側一帯に続く低い城壁より右はO.Bです。ティ・グランドからは見えませんが。左側に2つの小さな深いバンカーがあります。ベストポジションは、遠くセント・アンドリュース市内に見える大学の教会の塔狙いです。第2打以降、風、第1打の飛んだ距離によって、そのまま14番のフェアウェイが途切れるあたりまで刻むか、長いクラブでしっかりと距離を出すか、隣の5番ホール方向にショットして攻めるか判断が必要です。14番のフェアウェイが途切れた先には、ヘルバンカーと呼ばれる、オールドコースで一番大きく深いバンカーが横たわります。グリーン手前から非常に強い登りの傾斜がグリーン中央まで続き、その先から奥に向けて下りの傾斜となります。

15

CARTGATE(IN) /カートゲート(イン)

200ヤード付近にある小さなサザーランド・バンカーが見えます。その先から少しフェアウェイは右に曲がります。ベストポジションは、右に曲がるコーナー付近です。グリーン手前の左右のバンカーに注意が必要です。グリーンは左右・上下に複雑な傾斜があります。

16

CORNER OF THE DYKE / コーナー・オブ・ダイク

右側一帯はO.Bです。ティグランドから見えるフェアウェイ左側のバンカーの右がベストポジションですが、第1打の精度が求められます。安全策は、このバンカーの左側のラフです。グリーンは、手前から急激な登りの傾斜を持ち、登り切ると平坦です。第2打以降、グリーンへのショットも右側のO.Bには注意が必要です。

17

ROAD / ロード

オールド・コースの名物ホールです。オールドコース・ホテルの緑色の倉庫の上を狙う、右ドックレッグのホールです。ティグランドから見て、倉庫の壁に書かれた『獅子のマーク Old Course Hotel』の文字のどの文字の方向にショットするかは、風とドライバーの飛距離次第です。オールドコース ホテルの敷地内に止まった場合はO.Bです。フェアウェイ左サイドはラフです。第2打以降、長い距離が残ります。グリーンは。左右に長く、奥行きは5~10ヤード程度しかありません。グリーン左手前にあるのがロードホール・バンカー(通称:トミーズ・バンカー)です。グリーン右サイドから非常に強い登り傾斜があり、登り切って数ヤードのグリーンの奥行です。グリーン奥は下り、舗装された道、ラフ、壁と続きます。奥からのアプローチは非常に難しいです。

18

TOM MORRIS /

トム・モリス

あまり距離はありません。1番との共有フェアウェイは広く、思い切ってショットができます。唯一、右サイドに連なる白い杭の右側はO.Bです。フェアウェイ途中にある道路は、昔、漁民が漁をする際に船を運んだ道の名残りです。フェアウェイの起伏が非常にあります。グリーン左手前の抉れた所から急激にグリーンが登ってゆき、奥に向けて登りは続きます。グリーン奥からのパット、グリーンの左右からのパットは、早かったり、遅かったり、急に切れたり、切れなかっかり、非常に曲者です。

店主の選らぶ名ホール

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多くのゴルファーが名ホールとして挙げるのは、1番、17番、18番です。1番はR&Aのクラブハウスの前からスタートする有名なオープニング・ホールです。18番との共用フェアウェイは広く、第1打を思い切って打っていけます。グリーンのすぐ手前にある小川(=バーン・Burn)がこのホールの特徴です。

対して18番は、最終ホールに相応しく、R&Aの前に帰ってきた(=イン・コースのCOMING IN)と感傷を強く感じるホールです。1番ホールとの共用のフェアウェイは幅が広く思いきったティショットができます。様々なショットやパットを繰り返しながら18番に辿りついたご褒美として、ティショットを終えた後、スィルカン橋での記念撮影が待っています。17番は、ティショットでオールド・コース・ホテルの建物越えを試み、左右には細長いが、グリーンの幅として奥行きがありません。グリーンの左手前にある深いロードホール・バンカー(=通称:トミーズ・バンカー)が印象深いホールです。

そして、店主が選ぶ名ホールは、11番です。イーデン川がセント・アンドリュース湾にそそぐ河口に近く、風の向きと強さが非常に厄介なホールです。約170ヤード前後を風によっては、ドライバーからサンドウェッジまで必要です。7番との共有グリーンは、グリーン奥から手前に向かって下っておりさらに右の方向(=7番の方のグリーン方向)へ向かって下ります。グリーンの奥は谷底のように落ち込んでおりますし、グリーン手前には三つ深いバンカーが待ち受けており、難ホールといえます。マスターズ・トーナメントの創始者である米国のボビー・ジョーンズが1921年の全英オープンにおいてこのホールで第1打を左の深いバンカーに打ち込み、脱出に何度もかかるトラブルにより、彼の生涯で唯一の棄権をしたホールでもあります。

ここセント・アンドリュース・ゴルフリンクス・オールド・コースは、まぎれもなくゴルフの聖地です。現代でもゴルフ・コースのホール数は、18です。規定打数のPARの数は、コースによって、70だったり、72だったりしますが、ホール数は、18です。古代言語のヘブライ語には、各数字に込められた意味があります。18は、『人生』です。18ホールは、まさに人生のようなドラマなのかもしれません。大変意味深い事実です。

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セント・アンドリュースの象徴 ポット・バンカー

セント・アンドリュース・ゴルフリンクス・オールドコースの象徴はバンカーだと思います。小さく深い、壁のように直角にそりたったバンカーは『ポットバンカー』と呼ばれます。おそらく世界中にあるポットバンカーの誕生の地はここオールドコースだと思います。ここには現在112個のバンカーあり、ライオンの口や校長先生の鼻、ウォーキンショウの墓など殆どのバンカーに愛称が付いています。全英オープンでも我々のラウンドでもオールドコース攻略のカギはバンカー対策です。実際、2000年のここでの全英オープンで初優勝、キャリア・スラムを達成したタイガー・ウッズ選手は、4日間1度もバンカーに入れませんでした。店主が独断で印象的な4つのバンカーを紹介します。

注)バンカーの数は、頻繁に行われるコースの改修により変化します。

 

 ストラスバンカー(大渓谷) 11番 / パー3

オールドコースにある2つのパー3の内のインコースにあるホールです。セント・アンドリュース湾からの風に翻弄される最難関のパー3のグリーン中央にあるポットバンカーです。大きさはそんなに大きくはありませんが、バンカーの手前や左右のバンカー周りがバンカーに向けてかなり傾斜しており、バンカーの近くに飛んだボールを吸い込みます。最も厄介なのはその深さです。もともとこのホールは砲台グリーンですから、バンカーショットが大変な打ち上げになります。バンカーの壁もほぼ直角で、ボールのライが壁に近ければ脱出するだけでも困難になります。全英オープンでは伝統的に3日目や最終日にこのバンカーのすぐ上にピンが切られる事が多く、このバンカーがプレイヤーに与えるプレシャーは相当なものになります。

 ヘルバンカー(地獄) 14番 / パー5

恐ろしい名称を持つこのバンカーは、インコースの唯一のパー5の第2打と第3打の間にあり、左から右へホールの大部分を覆い尽くしています。面積は約300平方メートル、深さは約3~4mもあります。さらに厄介なのは第2打からこのバンカーが見えない事です。フェアウェイの先が途切れていて小高い丘とラフしか見えません。2000年の全英オープンでは、帝王ジャック・ニクラスがこのヘルバンカーにつかまりクインテゥプル・ボギー(規定打数にプラス5打)の10のスコアを叩いた程です。最近の道具に進化により全英オープンでは、このバンカーはあまりトラブルにならず、恐怖の対象ではなくなりつつあります。我々一般ゴルフ―には難敵であり続けています。このバンカーを避ける為、隣の5番ホールの方向に2打以降を打ち、左からグリーンを攻める攻略方法もあります。

 ロードホール バンカー(道路) 17番 / パー4

オールドコース・ホテルの建物を超える1打で有名なホールのグリーン中央にあるバンカーです。オールドコースでは勿論、世界中のゴルフコースの中でも有名なバンカーの1つです。グリーン傍にはこのバンカー1つしかありませんが、深く小さいバンカーでグリーンへの壁も垂直に切り立っています。しかも、バンカー内でバンカー手前から壁に向かって緩やかな傾斜が付いており、壁近くにボールが止まりやすくなっています。厄介なのは、このグリーンの幅は約3~5ヤード程の極端な横長のグリーンになっており、グリーンを超えるとすぐに道路があります。道路にボールが止まった場合、そのまま打たなければなりません。この3つの要素がこのバンカーの難度をあげています。1978年全英オープンでは、日本の中島常幸選手が、3日目に首位で迎えたこのホールの第3打をこのバンカーに入れて、脱出に4打を要しました。この時からこのバンカーの別名はトミーズバンカーとなりました。2000年の全英オープンの最終日では、首位タイガー・ウッズ選手を3打差で追うデビット・デュバル選手もこのバンカーに入れて、2打目を要してもバンカーから脱出できす、バンカー内でペナルティ・ドロップを行い、このホールのスコアを8としました。

 サザーランドバンカー(人名)/ 15番

バンカーの直径はわずか2m未満、深さ1.5mの小さなバンカーで、ティから前方左側にあるくぼみのように見えます。出版社を営むアマチュア・ゴルファーだったアレック・サザーランドは、1835年にセント・アンドリュースのメンバーになりました。入会してからは、3日とあけず、オールドコースを訪れるようになり、例え雨でも、強風でも、快晴でも、どんな天候の日でもラウンドします。彼はオールドコースの15番が大の苦手でした。フッカー(=左に曲がる球筋。持ち球がフック。)だった彼は、15番に来ると必ずこの左にある小さな深いくぼみに打ち込みました。サンド・ウェッジのなかった時代の為、一番ロフトのあるクラブ(=今の7番ぐらい)で脱出を試みますが、何度も何度もバンカーの壁に阻まれ、うまくいきません。あるラウンドでは、このホールで14打を費やしたという記録も残っています。彼は語ります。『わしは、家族と過ごした時間より多くの時間をこの15番のバンカーで過ごした。』と。彼の75歳の誕生日をゴルフ仲間に祝ってもらった席上で、『たた1度だけ、15番のこのバンカーから1打で出たことがある。次のショットをグリーンまで運び、長いパットを沈めて4を記録した事がある。しかし、この日に限り、わしは一人だった・・・。しかし、あの時の4はわしの宝物だ。』1869年セント・アンドリュース市がこのバンカーを埋めた時、断固反対したのがサザーランドでした。しかし、埋められたバンカーは3日後に復活します。市民の誰もがサザーランドの仕業だと思った逸話も残っています。こうして今も15番の左側のくぼみでサザーランドは、我々ゴルファーがやってくるのを待っています。

セント・アンドリュースに愛された名ゴルファー達

ゴルフの聖地セント・アンドリュース!! 世界最古のゴルフのオープン競技 全英オープンの舞台を29回務め、数々のアマチュア競技を開催し、世界中のゴルファーを魅了し、ゴルファーが聖地巡礼にやってくる地です。歴史上、セント・アンドリュースが愛した名選手を紹介したいと思います。

トム・モリス親子

トム・モリス親子は、父の方をオールド・トムやトム・モリス・シニア。息子の方をヤング・トムやトム・モリス・ジュニアと呼ばれています。父オールド・トムは、セント・アンドリュースに生まれ、歴史上世界初のプロフェッショナル・ゴルファー(職業としてのゴルファー)と言われるアラン・ロバートソンに師事します。アラン・ロバートソンはボール(=ガチョウなど羽を詰めたフェザーボール)職人としての仕事が主な収入源でした。オールド・モリスも彼の下で働いておりましたが、1851年のある日、そのボールの材質の事で争いとなり、セント・アンドリュースを首になり、プレストウィックに移り、まだ創成期だったプレストウィックのデザインを完成させ、1852年の設立を成功させます。このタイミングをゴルフの歴史は利用し、1859年のロバートソンの死後、1860年にこの地プレストウィックで全英オープンが始まります。オールド・トム自身は、1861年、1862年、1864年、1867年の通算4度全英オープンを制します。(すべてプレストウィック・ゴルフクラブが会場です。セント・アンドリュース オールドコースでの初開催は1873年です。) この1867年の4回目の栄冠の際のトム・モリス・シニアは46歳で今も破られていない最年長の優勝者の記録です。1865年に再びセント・アンドリュースに戻り、セント・アンドリュースのコースの責任者となります。さらに大金のかかった対外試合を数多く行い、数々のコース・デザインもこなしました。カーヌスティ、プレストウィック、ミュアフィールド、マクリハ二ッシュ、セント・アンドリュースのニュー・コース、クレイル・ゴルフクラブ、ラヒンチ、ロイヤル・ドーノックなどが彼の主な作品です。87歳の長寿を全うし、今もセント・アンドリュースの街にの大聖堂に眠っています。息子ヤング・トムは、1851年にセント・アンドリュースに生まれ、オールド・コースそのものが彼の幼少時代の遊び場でした。父オールド・モリスのゴルフを見て育ち、14歳の頃には父オールド・トムもかなわない程の腕前になりました。全英オープンは、1868年、1869年、1870年、1872年と4度制しました。ヤング・トムが1868年から1870年の間、全英オープンに3連覇して優勝者に送るベルトを保持していましたので、優勝者に送るベルトがなかった為、1871年の全英オープンは開催されませんでした。つまり全英オープンを中止に追い込んだ程の名ゴルファーだったことになりますし、実質的には4連覇を成し遂げたことになるます。しかし、1875年。ヤング・モリスの身に突然の悲劇が起こります。父オールド・トムとペアを組んで、対岸のリンクス ノースベリック・ゴルフクラブで賞金のかかったゴルフの対外試合を戦っていた時の事、戦いの勝負の決着がついた頃、彼の妻とそのお腹の子供の命の危機を知らされます。急いでセント・アンドリュースに戻りましたが彼の妻と子供は亡くなってしまいます。その日を境に彼は、ゴルフはおろか、無気力な生活を送るようになり、自分の部屋から一歩も出ず、その年のクリスマスの日に天国に旅立ちます。全英オープンを主催するR&Aのクラブハウスの外壁には、今も父オールド・トムの顔のレリーフが時計の下に飾られ、モリス親子はセント・アンドリュースの大聖堂で眠っています。オールド・コースのホームホール18番は、『トム・モリス』の名が付与されています。

  ボビー・ジョーンズ

『もし、私が選手として試合をしてきた経験の中から、ベスト・コースを選べと言われたら、私は躊躇なく、セント・アンドリュースのオールド・コースを挙げる。このコースほど、私に多くの事を教えてくれたコースは他にないからだ。』球聖と言われたボビー・ジョーンズがセント・アンドリュースの名誉市民に選ばれた時のスピーチの一文です。その時、彼は難病に体を蝕まれていた為、歩くことはおろか立ち上がる事も出来ず、車椅子で名誉市民の表彰式に出席しました。彼は生涯で4度全英オープンに出場しました。内、3度優勝しています。1921年人生で初めてイギリスに遠征し、全英オープンに出場した舞台がセント・アンドリュース・オールド・コースでした。前半の2日間を152ストロークで進み、3日目、セント・アンドリュースの風の洗礼を受けます。前半のアウト・コースの9ホールを10オーバーの46.『バック・ナインで取り戻そう。まだ、何とかなる。』とインに入ります。10番をダブル・ボギー。11番パー3のホールの第1打をグリーン手前左の深いバンカーに入れてしまいます。バンカー内で3打を打ち、4打目で何とかグリーンに乗せて、5打目のダブル・ボギーのパットもカップを通り抜けます。この瞬間、彼は次の6打目を打たずに、ボールを拾い上げ、スコア・カードを破り捨て、棄権してしまいます。ボビー・ジョーンズの生涯で唯一の棄権です。この後、思い直し、プレイには戻りましたが、正式なスコアとはならず、棄権が最終成績となっています。この屈辱と後悔の6年後の1927年再びオールド・コースでの全英オープンに出場します。前年の1926年ロイヤル・リザム&セント・アンズ・ゴルフクラブでの全英オープンに初優勝し、デフェンディング・チャンピオンとして連覇を目指します。その大会の初日、彼の記録破りの68のスコアにセント・アンドリュースの街は熱狂し、結局、大会4日間を68-72-73-72のスコアで一度も首位を譲らず、2位に6打差をつけて勝利します。『今回は万全の心構えで臨んだ。私が犯した6年前の過ちを少しでも取り戻せただろうか。』と語ります。結局、途中棄権した1921年のオールド・コースでの大会以外、1926年のリザム&セント・アンズ、1927年のオールド・コース、1930年のロイヤル・リバプールの計3度に優勝しました。1930年に彼は1年間で英米4つのメジャー競技すべてに勝利し、真のグランド・スラムを達成し、競技生活からの引退を発表します。その1930年の全英アマチュア選手権は、ここセント・アンドリュース オールド・コースであったことに彼とオールド・コースとの強い結びつきを感じます。彼はその生涯でメジャー競技(彼はアマチュア・ゴルファーですから、全米アマチュア選手権、全米オープン、全英アマチュア選手権、全英オープンがメジャー競技となります。)に21回出場し、13の大会に優勝しました。まさに『球聖』です。競技からの引退後、母国アメリカでマスターズ・トーナメントを立ち上げ、今も永遠にゴルフの歴史にその名を残します。1971年彼は天国に旅立ちました。その報を聞いたR&Aは、彼の死後の翌年の1972年にオールド・コースの10番に『ボビー・ジョーンズ』の名を付与しました。今でもオールド・コースの10番は、ゴルフの球聖の魂が宿る場所です。

ジャック・ニクラス

ゴールデン・ベアーと呼ばれ、史上最強、20世紀で最高のプロ・ゴルファーです。メジャー競技(マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロ5勝)に通算18度の勝利を収めています。グランド・スラマー(本来は1年間に4つすべての勝利を成し遂げる事を指しますが、現代ではまず不可能と言われますので、その選手の生涯において4つすべての勝利を成し遂げる事を意味します。あえて厳密な意味で言うならキャリア・スラムとなります。)と言われる4大競技のすべてに勝利しているのは、ジーン・サラゼン、ベン・ホーガン、ゲーリー・プレイヤー、タイガー・ウッズ、そしてジャック。ニクラスの5人しかおりません。4つのメジャーを3度以上制しているのは彼とタイガー・ウッズのみです。3度の全英オープンの勝利は、1966年ミュアフィールドでの初勝利、1970年と1978年の2度のセント・アンドリュースです。1970年の全英オープンでは、優勝を争っていたダグ・サンダースは最終ホールを迎え、ジャック・ニクラスを1打リードしていました。サンダースの最終18番の最後のパットはわずか50㎝ほど。これを入れれば、彼が優勝です。目をつぶっても入ると思われる距離を外し、ジャック・ニクラスとの翌日のプレー・オフとなります。結局、二クウスはサンダースに1打差で勝利し、『セント・アンドリュースで勝てて、私は初めて本当にメジャー・チャンピオンになれたと実感した。ここで勝つ事がいかに大変か。それを改めて思い知らされた。』と語ります。全英オープン3度目の勝利となった1978年は彼自身の存在価値を自ら証明します。前年の1977年スコットランドのターンベリーでの全英オープンで、若きトム・ワトソンと争います。2人は大会初日から3日目まで同じスコアを並べ首位を分けます。しかも3位以下との差はかなりあり、最終日の優勝争いは2人だけに絞られます。最終日は、『白昼の決闘』と形容されるニクラスとワトソンの一騎打ちとなります。結果、1打差でワトソンが勝ち、新王者の台頭を許す結果となります。そして翌1978年4月のアメリカのマスターズでもトム・ワトソンに競り負けてしまいます。そして1978年7月の全英オープンにおいて、彼はここオールド・コースで再び勝利します。『ここで勝つことが重要だった。自分が本当にナンバーワンでなくなったかどうかは、オールド・コースの72ホールで分かる。』と語ります。ゴルフ界の帝王の移り変わりの空気があった中、オールド・コースは再度ジャック・ニクラスに微笑んだのです。2000年彼は全英オープンからの引退を表明します。当初、この年の全英オープンの舞台はオールド・コースの予定ではありませんでしたが、R&Aは、ニクラスの為にここオールド・コースでの舞台に変更をしたと言われています。この年の彼の最終ホールのスィルカン・ブリッジでの最後の雄姿は人々の感動を誘いました。最後のホールである18番ではバーディで締めています。2005年には、ロイヤルバンク オブ スコットランドが発行する5ポンド札の裏面のモデルにもなっています。当行が存命の人物を札のデザインに使用することは初めてです。その後、全英オープンは5年おきにオールド・コースでの開催が定着していきます。2000年、2005年、2010年、そして2015年。彼がいかにオールド・コースに愛されたかを証明するエピソードです。彼は、『最も好きなコースはセント・アンドリューズのオールドコース、最も良いコースは全英オープン初制覇の舞台スコットランドのミュアフィールド、人生最後のゴルフをするならペブルビーチゴルフリンクスである。』と語っています。

ピーター・トムソン

1929年オーストラリアのメルボルンで生まれたトムソンは、13歳でゴルフを始め、1950年プロゴルファーになりました。1954年初めて聖地セント・アンドリュースを訪れた彼は、このコースを一目で気に入り、『私のイメージしていたコースだ。』と語りました。結局、この1954年に聖地で開催されたPGAマッチプレー選手権に優勝します。翌1955年の全英オープンは聖地で開催され、再びトムソンが優勝します。1957年の聖地での全英オープンは2位、1962年のヨーロッパツアーの試合では、ここ聖地で三度目の勝利をもぎ取ります。全英オープンでは、1954年ロイヤル・バークディール、1955年オールドコース、1956年ロイヤル・リバプール(=ホイレーク)と3連覇を達成し、1958年のロイヤル・リザム&セント・アンズ、1965年のロイヤル・バークディールと全英オープン通算5度の優勝を誇ります。聖地セント・アンドリュースで開催された試合では、わずか8年間で3度の栄冠と1度の2位と抜群の相性を発揮しました。第2次世界大戦前の聖地での開催が多かった時代を含めても、最多の6度の全英オープンを獲得したハリー・バートンは聖地での優勝はなく、5度の栄冠のJ.H テイラーとジェームス・ブレードは聖地で2度ずつ(テイラーは1895年と1900年、ブレードは1905年と1910年)。戦後、同じく5度のトム・ワトソン(全英オープンの初優勝は1977年)は、聖地での栄冠はありません。トムソンは1950年代以降、聖地以外でも色々なコースで全英オープンが開催されるようになってから、聖地と相性が抜群の選手でした。しかも、バートン、テイラー、ブレードは英国人で、トムソンはオーストラリア人という事からも、彼がいかに聖地に愛されたがわかります。

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コロナ騒動下のオールドコースのつぶやき(店主代読)

自画像(オールドコース)

遥か昔から去年までたくさんのゴルファーが私に会いにやってきました。地元セント・アンドリュースは勿論の事、ヨーロッパやアメリカ、アジア諸国のゴルファーが世界一広いフェアウェイに見送られてスタートし、18ホールを終えて、再び広いフェアウェイに出迎えられました。毎日、毎日、日曜以外の月曜から土曜までたくさんのゴルファーが聖地巡礼のようにこの地にやってきました。しかし、2020年の今年は、ゴルファーの姿が見当たりません。時々、地元のゴルファーが会いに来るだけでした。私はちょっぴり寂しい思いを感じました。あれほど、日々、毎日会いに来てくれたゴルファーはどうしているのだろう? かつて私に会いに来たすべてのゴルファーは元気なのだろうか? 今もゴルフを愛してくれているのだろうか? どこかで小さな白い球と戯れているのどろうか? かつて私に会いに来たすべてのゴルファーへ! 『私は元気です。朝日と共に目覚めて、太陽の光を浴びて体を温め。時には激しいシャワーを浴びて、水分を吸収し、体に潤いを得ています。そして日の暮れの共に眠りについています。そして、再びゴルファーとの再会の日を心から楽しみにしています。』

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新着情報

2022年6月2日

長期にわたる海外渡航の規制や日本出国時や日本帰国時の様々な条件も緩和・撤廃されつつあります。いよいよ英国・アイルランドゴルフ旅の実現が近ずいて参りました。

2022年4月26日

緊急告知です。今後、全ての商品の費用を順次改訂致します。航空機の費用、現地の宿泊、ゴルフの費用等の原価高騰の差額を反映させて頂きます。何卒、ご理解の程、宜しくお願い致します。

2022年3月2日

スコットランドやイングランド、アイルランドで皆様をお会いできる事を願い、商品造成に精進して参ります。

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